日本に住み、合気道とその源、大東流をともにを訪ね、取材の模様を英語記事、動画として、を調査し、高名な師範信しているフランス人”合気道研究家”ギヨーム・エラール師。その功績は、海外においてすでに著名である。かつて「合気ニュース」を主宰したスタンレー・プラニン氏を思い起こさせるギヨーム師の合気探求への情熱。「大東流と合気道」二つの世界の架け橋となりうるこの要注目研究家を、ギリシア人武道ライター・ミリアレシス氏が直撃インタビュー!
この記事は、「月刊秘伝」2021年3月号に掲載されました。
取材・文◎グリゴリス・ミリアレシス
翻訳◎遠山淳子
日本在住、気鋭の”合気”情報発信者
その人は合気道や大東流、古流についてインターネット上の業績がとても多く、長く日本にいる人だと思っていた。実際に会って経歴を交換し驚いた。
彼、ギヨーム・エラール、フランス人生物学者で武道指導者(合気道六段〔合気会本部〕、千葉紹隆の四国本部道場大東流合気柔術五段)と私の日本在住歴はほぼ同じだったのだ。だが公開した日本の情報量が違う。彼のウェブサイトや動画チャンネルには67500以上の素晴らしい記事や動画がある。ありのままを提供する実際的な情報は、欧米人の武道理解の良い手段になっている。取材、武道(特に合気道と大東流)の源や歴史の研究、「横浜合気道場」での指導、日本の生活、一方、日本武道のヨーロッパの中心フランス出身で、イギリスでの在住経験もある世界市民独特の視点、こうしたものが相まって、ギヨーム氏を日本武道界の面白い発信者にしている。その二つの武道について腰を据えて聞きたい。
日本での稽古・取材で得られるもの
◉……経歴を伺うのはやめましょう。誰でもウェブサイトで見られますし、合気道や大東流の方は既にご存知でしょうから。早速、稽古のことに入り、海外での稽古の代わりに日本で10年稽古され何を得られたと感じているか伺いたいです。
ギヨーム:今は世界の誰もが合気道をできる時代ですが、植芝盛平自身を理解するには日本文化や時代背景を切り離して考えられません。じゃあ本当に合気道を理解したいなら日本、文化や歴史、言語を理解しなくてはと思いました。
合気会本部道場で世界でも指折りの指導者から思う存分、指導が受けられるようになりましたが、もっと大事なのは、植芝守央道主との稽古で合気道家は絶え間ない系譜に結び付いていると気づいたことです。道主は合気道の歴史との生きた繋がりです。私は今でも植芝家の前を通って道場に入るたびに畏敬の念を持ちます。
また多田宏、磯山博、小林保雄先生といつた大先生の直弟子と稽古し、取材もします。皆さん時間をゆっくりとって私の質問に忍耐強く答えられ、研究に関する資料をくださることもあります。日本の文化や言葉に慣れるに従い、物事が徐々に意味を成してきました。
合気会本部道場にも足繁く稽古に通うギヨーム師。植芝守央合気道道主と、六段の免状を手にして記念撮影。
◉……ヨーロッパと日本での各々の稽古を比べるとしたら?
ギヨーム:もし合気道が万国共有なら、どの国でも稽古する人の必要に応えねばなりません。例えば日本で武道の稽古は「人間形成の道」であり、戦いでの有効性は主目的ではありません。一方、現実に公共の安全に問題がある国では自己防衛のために合気道をする人もいます。したがって稽古法や技は異なるでしょう。一般化は難しいですが、ある人々は合気道を慎想として用い、他の人々は教育の道具にします。それぞれの状況に適合し、また指導者が示す指導内容に添っていれば、全ての解釈が有効です。一人の合気道家が他の人の主張に対して説明責任を負う必要もありません。
ギヨーム師は植芝盛平の直弟子である多田宏師範などの下へも積極的に足を運び、合気道研究のための情報収集を重ねている。
国内の大東流、国外へ向いた合気道
◉……合気道は大東流の流れですが、その形や解釈はずっと柔軟な気がします。なぜでしよう?
ギヨーム:合気道は大東流の技と大本教の教えに基づくと言われますが、私が話を伺った大先生の直弟子の多くは大先生のお話は少ししか分からなかったと言われました。
私は大本教には不案内ですが、大本教は歴史を詳しく学び世界宗教化への強い野望を持っていたとは言えます。例えば、出口王仁三郎は世界に拡大する鍵だと見据えて、大本教にエスペラント語を取り入れました。盛平は王仁三郎の世界展開の展望を共有していました。ですから吉祥丸道主が合気道を世界武道へと方向転換した時、父の意志に応えたと思います。こうして合気道の技とメッセージ(の幾分か)は導入される地球上のどの場所にも当てはまるように修整されました。
一方の大東流はこれほどの柔軟度は許さないでしょうし、だからこそ最近までより秘密主義が保たれていたのでしょう。
フランス人合気道家・クリスティアン・ティシエ師範の受けを取るギヨーム師。17歳から7年間日本に滞在して山口清吾師範、早乙女貢師範、大沢喜三郎師範らに師事したティシエ師範ともギヨーム師は親交が深い。
◉……では大東流はもっと具体的、身体的だといつことですか?
ギヨーム:イエスでありノーです。大東流の人は相手に容赦ないと思われていますが、そうでもありません。初期のことは言えませんが、今日では大東流の中にも強い道徳観が存在します。
武田時宗は
「大東流の根本理念は和と愛を広めることだ。これを心に留めれば社会的正義の維持と達成に役立つ。これが武田惣角の願いだ」
(武田時宗のスピーチー石橋義久著『武田惣角伝大東流合気武道百十八カ条』51ページ「※要約」)
と言っています。
植芝の色々な発言によく似ているので、私は両者の目的が違うとは信じません。恐らく聴衆によるのでしょう。合気道は世界中に和を広めることを目的としてきましたが、大東流は主に日本を中心に続けています。
合気の「和」、西洋のハーモニー
◉……合気道は日本国外で変化した(修整された)とのことですが、日本と海外で稽古したギヨームさんなら、この修整についてもら少しはっきりと教えていただけると田心いますが?
ギヨーム:それは一番、面白い面の」つですーちょうど和に触れましたが、「和の武道」は「budo of harmony」と簡単に英語に訳せます。でも文化が違えば「harmony」にはそれぞれの理解があります。
西洋で「harmony」と言うと、多くの人が無条件の愛と許しを通じた理想的な平和相互理解を思い浮かべます。ユダヤ・キリスト教に基づくのでしょう。大先生の最初の外国人内弟子アンドレ・ノケの日記にもあり主す(秘伝2020年7月号、8月号掲載記車参照)。これは日本社会のもっと実際的な和の解釈とは全く違います。日本人は面識の右無や好き嫌いを問わず調和できます。社会北通の規範通りに動くだけで全てが円滑に進みます。社会的に効率的な方法で、私はフランスの同胞も少しこんな風に考えてくれたら、と思います。でもフランスのモットーは「自由、平等、友愛」です。
ギヨーム師は植芝盛平の直弟子である多田宏師範や小林保雄師範などの下へも積極的に足を運び、合気道研究のための情報収集を重ねている。
1789年のフランス革命、1968年の五月危機の結果、フランス人は更に自由を手にしましたが、その副作用に過度な個人主義がありました。フランス人が日本的調和を受け入れるなら、公共の利益のための規則を丸ごと受け入れ個人の自由をある程度、制限しなくてはなりません。
現在の新型コロナの世界的流行でのマスク着用はとても良い例で、日本人は周囲の人を守るために真剣に受け止め、フランス人は個人の自由の侵害だと考えます。
更に「和」と「平等」は等しくありません。「和」は社会秩序の中で人々がそれぞれの立場、分野で機能することを想定しています。日本では最初から物事が規定され、先生、先輩、後輩の秩序は変わりません。フランスの人々は皆平等もしくは自分は他より優先されると考えます。また最近は「自由」「平等」ばかり目立ち「友愛」の紳はあまり見られません。
私は自分が一番状況が分かるフランスを例にしました。でもどんな国にも重大な文化的、哲学的違いが必ずあります。日本国外への「和」の伝道がたとえ善意からでも、この違いが摩擦を生みます。極論すれば「和」はヒッピー社会よりローマのパックスロマーナに近く、実は力で広まります。第二次世界大戦時の日本軍や出口王仁三郎や植芝盛平は、皆日本以外に「和」を広めたかったのです。
ただ植芝盛平の本当のすごさは、その目的を実現するためには、もはや暴力は受け入れがたい手段だと判断したことです。現代なら盛平と極右組織の陰の人物との関係を簡単に批評できますが、時代状況を鑑みればその道徳的姿勢は革命的ではないとしても際立っていました。
大先生の技の源を学ぶ
◉……ご自身のお話に戻りましょう。なぜ、大東流を始めたのですか?
ギヨーム:フランス語が流ちょうに話せても、もっと深く理解したければ、その源、ラテン語を学ばなければなりません。私も合気道に関して同じように考えました。大先生の弟子たちは専ら大先生の教えを学ぶことに集中しました。そのせいか彼らは私に大先生の技の源を教えようとしませんでした。
そこで私は大東流を学べないかと考え始め、オリビエ・ゴーランに久琢磨先生の弟子で琢きよひろ磨会幹事長八段の小林清泰先生を紹介してもらいました。面白いことに小林先生も中村天風の下で学び、大先生のご存命時に合気会で稽古していて、大東流と合気道の技の百科事典のような素晴らしい指導者でした。先生は私のような合気道家がどう考え、どう動くかを心得ていて、大東流の技を明確に説明してくれました。私は初めて合気道の技の源と歴史に関する疑問への明確な答えを得られ、先生との最初の稽古の後、弟子となり今も先生についています。
合気道、大東流の先輩であるフランス出身のオリビエ師範(右)と、大東流合気柔術琢磨会幹事長八段・小林清泰師範(中央)から、指導を受けるギヨーム師。
大東流への私の傾倒を見て、オリビエは国内最高位の大東流指導者のお一人で中津平三郎先生の後継者、千葉紹隆師範も紹介してくれました。中津先生は朝日新聞社の最上級者で1934年から39年の大阪朝日新聞の植芝盛平と武田惣角による技術書「総伝」にもよく登場しました。千葉先生は久琢磨と武田時宗の下でも学び、時宗から関西大東流を任されています(※千葉師範本人談)。
中津平三郎より伝えられた貴重な系譜の大東流を四国の地に伝え広めた故・千葉紹隆師範。知られざる「四国の大東流合気柔術」について、その歴史、技法、現館長インタビューなど、ギヨーム師の協力の下、徹底紹介。お楽しみに!!
◉……大東流を通してこのような理解に到達して尚、合気道の稽古を続けている理由は何でしょう?
ギヨーム:かつて千葉先生が「我々は皆、同じ幹から枝分かれした枝だ。それぞれの枝がどう繋がっているか分かっていれば、幹は強くなり続ける。大東流と合気道の多くの流れは徐々に違う方向\と枝を伸ばしているが、どれも皆、大切だ。どの枝も全て幹へ、世界へかけがえのないものを運んでいるからだ」と言われました。
武田時宗と植芝吉祥丸は共に天才の父親の足跡を追わねばなりませんでした。二人の取組方は違いましたが、それぞれの父親の流れを今日も学べる不動のものにしました。我々はその功績に大きな恩義があります。私は合気の樹の弟子だから、その枝の幾つかを同時に完全に学べるのです。
合気道と大東流について学んでいくと、違う流派が違う方法でやる理由が明らかになります。「この先生/流派は間違っている、小手返しはそうじゃない。こうやらなくては!」とは一言わず「ああ、彼らの小手返しはあそこから来ているのか!」と考えるようになりました。他の人々の技が合気のより広い枠組のどこにどう当てはまるか分かるようになったのです。知識は常に理解をもたらし、理解は会得をもたらします。
2016年に、クリスチャン・ティシエ師範の道場で指導するギヨーム師。
”合気の樹”に立ち、傭畷する
◉……合気道が大東流の稽古にもたらすものは?
ギヨーム:大東流は一枚岩のような存在ではありません。色々な枝が広がっていきました。のびのびと大胆に合気道の技をやっていた私も、すぐに違うやり方に順応できました。実際、合気道経験者が大東流を始めると、進歩が速いものです。勘や受け身が既に身についていて大東流の多くの技との関係を見抜けるからです。
◉……自分の中の知識の総覧について、どう捉えていますか?
ギヨーム:各部分を集めるより、全体そのものの方が偉大です。両方の武道をやって、私は根本理念をより自分のものにでき、教える時には解放された感じです。何かする時に一流派のやり方に縛られず、広範囲の技から選択できるからです。もちろん、それぞれの流派を大切にしています。合気会本部で稽古する時は本部の合気道をし、四国にいる時は千葉先生の大東流を行います。
こうした技術面以上に本当に大切なのは、これらの武道を通じ、文化、歴史を学び、人間関係を築き切磋琢磨することです。合気の樹の上にこの場を見出せるのは素晴らしいです。この場は同じ樹上の人々の助けがあって初めて見つかります。そして私はこの特別で偉大なものに自分が属している実感を与えてもらいました。
グリゴリス・ミリアレシス
ジャーナリスト、翻訳家。武道について、また現在居を構える日本について、これまで様々な新聞、雑誌、インターネット媒体で執筆。彼の活動についてはaboutme「グリゴリス・ミリアレシス 」のページで。日本についてはギリシャ語・英語・日本語で綴るブログ「Nihon Arekore」で更新中。