対談が終ると、速記者の方を向き「私のいうこと、ちゃんと取れましたか?わかりましたか?私のいうこと、ちゃんとわかった人、新聞雑誌極意の方で一人もない」速記者の方を向いてモノをいったのだが、ぼくも同時にやられている。武道の極意である。
ペラペラと自分の言葉に酔うょうに語る。ボキヤブラリーは天上を飛び、雲間を走り、抽と思えば象、象かと見れば抽。千円札で五百円の買物をすれば五百円残る、といったようなことばかり考えているわれわれには、チンプンカンプンだ。
字宙を腹中に入れたと称する天才の、インスピレーションのままに発する言葉、突如チンと出てプンとつづき、カンかと思えばプンと出る、それをそのまま活字にしたとて、ぼく同様の皆さんにわかるはずがない。そこでぽく朱筆をとり、チンを削りプンを消し…日本一の合気の先生の言葉をそうするのは、気味がいいような恐いようなものだった?【日出造】
この記事は、「週刊読売」1956年5月27日号に掲載されました。
「私は菊歳まで発育した」
近藤:合気道々々々と、大評判になってきましたね。
植芝:先生方のおかげです。
近藤:いや、とんでもない。
植芝:こ声援のたまものです。
近藤:アイキでなくてアイソがお上手。(笑声)おいくつでしたっけ。
植芝:年は忘れてしまいましたが…明治十四年の生れです。人には二十五歳と申上げております。どうかそのおつもりで…。(笑声)
近藤:ではぽくと同い年です。(笑声)人間の体ってものは、二十五歳で大体×発達が止まるそうですな。
植芝:私のは止まらないんです。私は五十五まで発育しました。身長も伸びましたしね。私は五十の年に一番体力がありまして、二十歳代から三十二、三までは、そう力はなかったんです。
近藤:武芸の方は?
植芝:武芸も年がゆくほど結構でございます。
近藤:しかし、おかしいですな、五十まで身長が伸びるってのは。
植芝:ではどうぞご随意に。(笑声)あまり主張をすると、ギュッといわされますから。
近藤:ご冗談でしょ、相手が悪い。(笑声)
植芝:それでね、先生方は世の中のととをよくご存じで、先生らについてわたしらは行くわけです。ところで先生、武術こそ和合の道ですよ。和合の道にはずれたもの、何の役にも立ちません。わが国の武道は、和合あって続くものと私はいつも田心っております言うるわしきこの天地のみ姿は主のつくりし一家なりけり」で、精神的に一家族になって、日本の国をよくしなけれぱならない。まず日本だけでもすみやかに和合していかなければならない。お互いに仲よく世話になったりへせられたり…。この土台になるのがすなわち合気道です。合気道とそ真の武道であります。”覇道”的に、ケンカ道具に使ったり、昔の大名が幕閥争いに使ったりした、とういういやらしい世界から逃げたいんですよ。
近藤:突如はじまりましたね、合気哲学が…。(笑声)
植芝:民主主義は即無抵抗主義です。日本の真の武道は無抵抗主義です。
近藤:抵抗しなかったら武道は成りたたんでしょう。だからぼくはきらいなんですがね。
植芝:それは覇道的な武道です。日本の武道は剣道と柔道となっていますけれども、あれは勝てばいいんじゃないですか。合気道は和合をしたいんですから、ああいうものとはまったくちがいます。
近藤:仲よくしよう、と投げつけるわけですね。
植芝:先生ほどの方がちょっとそれは…。
近藤:失礼があったらお許し下さい。とかくぼくは覇道の方でいきますんで。(笑声)
植芝:相手がかかってきたら、ちょっと体をよけまして、どうぞあなたのお好きなところに行きなさいとやるんです合気は。つまりその人に自由を与えるわけです。
近藤:なるほど。いろんないい方があるもんですね。
植芝:いい方じやありません。実際なんです。
よける事が武道の極意
近藤:合気では剣を持ちますか。
植芝:持ちます。剣は天地のあわせ鏡です。まっりとです。
近藤:さアわからなくなった。(笑声)ぼくはね、剣なんてものは単なる殺人用の凶器だと思ってますがね。ですから、あれをもっともらしい顔で鑑賞している人など見ると、お気の毒に、愚かな人だ、と思うだけです。
植芝: 剣は危険です。危険なものをもてあそぶというのはいけません。地球というものをいっぺん考えてみなさい。地球の上はわれわれに与えられた祭場です。だからお天道様をお祭して、天の規則を地上にうつして、和合の道で政治を行なっていくんです。天では戦争はないでしょう。何万年もお互いに仲よくやっているじゃないでずか。地球が自分たちのものであるならば、きれいにお祭をやって、お互いに仲よくしたらいいでしよう。
近藤:仲よくするのに、剣はどうもいけませんね。あれがないと仲よくいきそうな気がするけれど...。
植芝:先生の剣とわしの剣は違う。
近藤:ケントウ違いですかな。(笑声)
植芝:大きな見当違いです。剣はミツルギ、まつりごとです。呼吸のあわせ鏡でず。剣と見てとれをもてあそぶと、人を殺すようになる。とうなるとこれは兵器である。人を切っては世の中からの負けです。切られた者も負妙ている。お互いに負けるケイコをしているわけだなそうでしょう。
負けるケイコをしておったから、しまいには日本はこんなことになってしまった。だから勝つケイコをしなげればならない。勝つケイコは正しいことである。こういうと一本参るでしよう。
近藤:いや、別に参りません。(笑声)あなたのおっしゃることがよくのみ込めないから、平然たるものです。知らないほど強いことはない。ちょっとした合気道ですな。(笑声)
植芝:実地でお目にかけましょう。剣の説明はこれでわかる。(同伴の令息、立上がって棒をふり上げる)
向こうがこう突いて来る。突かれたら痛いでしょう、だからすっとよけてしまうんです。さっと突いて来ると、すっとよけてしまう。電気よりなお速いんですよ。
近藤:電光石火より速い。
植芝:電光石火は中国の言葉です。電光石火や電撃よりなお速いんです。これを勝速みというんです。武道の極意はそこにあるんですよ。
近藤:武道ってものは卑きょう未練なもんですなア。
植芝:卑きょう未練じゃないんです。自分が突かれるのが卑きょう未練です。
近藤:敵にうしろを見せるとは卑きょうなり、と講談本に書いてありますがね。
植芝:それは負けん気の覇道的な言葉ですよ。あほらしい。相手にせんでいいんです。暴力を振るうやつを相手にしでおっては、世の中は進歩しませんよ。
近藤:かつで軍人がだいぶ武術をやりましあれは覇道的な考えからだったんですね。
植芝:そこまではわかりません。自然の勢いということでしょうか。
近藤:合気道ってのはよほど古くからあったんですか。
植芝:これの根原はコトタマノミョウョウ(言霊の妙要)
近藤:さアわからなくなった。(奥声)
植芝:宇宙といつしよに出来て、大自然のままに行われているんです。この世界は毎日大きくなって、拡大しつつある。日々成長をして、宇宙建国の大精神が完成されつつある。天も地も完成に向かっているのに、地上の人類は、ことに日本入の今日をながめそと、そこに目が覚めない人が多いのです。すみやかに新しい幸福を迎えるときが来ているんですから、早く夢から覚めて、ふらふらしておる心を一つに鎮魂して、仲よく一家族を形成してやりたいのです。
近藤:おっしゃることの全部はのみ込みませんが、おおよそのことは察しられますね。あなたがごらんになって、一番情けない状態ってのは、どういうことなんです。
植芝:まず中心がなければならない。天には太陽があり、地には地輔がなければならない。中心がないと仕事はできない。
近藤:中心ね。天皇陛下の顔がチラチラしますね。
植芝:天皇陛下は民主主義ですよ。
近藤:したがって、陛下を戦前のように考える….。
植芝:はっきりそれはいえないんですが。
近藤:はっきり何わないと困ります。
植芝:えらい剣幕ですな。
近藤:えらい剣幕です。何しろ覇道ですから。(笑声)
植芝:私の考えはですね右翼とはちがうんです。
近藤:中心—といわれると右翼だと思うクセがついてましてね。
植芝:絶対、右翼ではない。私がいうのは精神的な働きによる、和合の筋道です。日本の武道はマサカツであって、ケンカ定するものでもなければ、人を切るものでもない。ぱっと相手をはね飛ばすのは侵略主義です。人の仕事を邪魔することになるんです。相手の剣は絶対に打ちません、合気道ですから。指二本でつまみ上げて、助けてやればいいんです。
近藤:えらく思いやりのある武道ですなア。
植芝:それが日本の精神です。今までみたいに、負けじ魂では、人殺しをやっていかんでしょう。
各自、天の使命をはたせ
近藤:あなたは人を傷つけたりしたことは、いっぺんもおありにならない...。
植芝:ちょっと、それはやめておきましょう、いろいろな関係もあるし…。(笑声)大体そういう事はこれまでに卒業して来たんですから。日露戦争に行ったり、馬賊庖相手にしたり、海賊船に乗込んでおりましたから、そういう場面も展開して来たんですが、あまりそういうのを聞かれると困るんですよ。もう和合でやっていきたいんですよ。
近藤:和合のためには陛下が必要…どうも陛下にこだわって相済みませんが。
植芝:士農工商によらず、その中心は陛下ですね。日本は天皇陛下が中心で、その分身分業が地上の経倫をしている。分身分業は大臣とか小臣とか民とか、三つ四つのものであって、これが自然の経倫のためにできているのである。だから一人を殺したら自分の指一本切るのといっしょでしょう。だから民を大切にしなければならない、大きな民主主義でなければならないのです。
近藤:つまり天皇陛下をいただいて、みんな仲よくしろ、ということなんですね。
植芝:さすがは先生心得ておられる。(笑声)
近藤:しかしね、心がけのいい人間ばかりだったらいいんですが、心がけの悪いやつがたくさんいますから、そういうやつらに天皇が囲まれると、大変なことになる。なぜわれわれを側近にしないかというんですよ。(笑声)
植芝:そともある。まア今までは仕方がないから、今なお封建ですから、との衣を脱いでいただいて、本当の新しい日本の国ということで、ご準公をみないっしょにしたらどうです。それをわしは望んでおるんです。自分で一生懸命にお勤めをして、気にいらない人でも、まアまアと、何といわれても自分で範を示して…。こういうアホウがたくさんありすぎても、困るんですけれどね。
近藤:アホウとは安く保つと書く。まアみんながアホウになれば、この世はラタに保ちますかな
植芝:私はアホウでたくさんです。アホウがアホウなりに考えて、だれさんの何にも組していないんです。わアわァやっている人は、自分の偉いところを見せたがっている人ですね。そんなところに加わってもなんにもなりません。「このうるわしき天地のみ姿は主のつくりしものなり」で、私は何にも知らないアホウだけれども、一軒の家に中心がなかったら、それは寄合世帯でしよう。寄合世帯じゃ、やっていけない。自分の意見ばかりみんな述べて、だれが中心になるかわからない。
ですから、ここに本当の一人の偉い人があったら、いつでも合流していきますよ。わしは わしに 与えられた使命を完成すればいいし、先生には先生の使命があるんです。新聞社には新聞社の、百姓には百姓の使命があるんですょ。各目が使命を持っているのであって、各々の天の使命を自分で完成すればいいんです。そうすると何も文句はないんじゃないですか。
近藤:金持は金持が使命、貧乏人は貧乏人が使命、といったら、貧乏人が承知しません。
植芝:金のことなどは問題ではない。
地上の世界は汚れてる
近藤:ぼくはまア、ぼくの使命を素直に全うするつもりでいますがね、軍人とか役人といった連中が、その使命を全うさせないという世の中が、天皇様々をやりすぎると、出来上がっちまうんですよ。そういうとき、おれの使命をなぜ全うさせない!といっても、軍人なんてのは武器を持ってるからかなわんです。
植芝:そういうものは、いらないようになりましよう。
近藤: そうならないとウソですね。日本にまた軍人ができそうな気配ですから、やめさせたらどうかと思うんですがね。
植芝:なくなるような世界が来たら、それに越したことはないんですがね。
近藤:向こうでなくじたら、おれもやめるというんじゃ、いつまでたってもグメです。
植芝:だから、精神的になくすということをいっておるんですよ。地球を大八州の中心にとって、恨みをのんで死んだとか、民主主義をやろうと思って邪魔されて死んだというように、この地上の世界は汚されているので、早く衣を脱いでしまって、すみやかにやるのにはどうすればよいかというと、これは国土のミソギをやらなけれぱならない。国土のミソギというと、先生はご存じないかも知れませんが、昔みたいなミソギではいけない。
今日はすでに変っているのです。昔のものはダメですよ。同時に古典を信ずるんですよ。七十五声の妙声の動きによって世界はできたということが古典に出ているんです。そこで、万有万人の浄心を明示する方法が合気道というんです。祭政一致の天地である。これは大なる民主主義である。祭政一致というのは、覇道的な行いをするための天皇の道ではないかという人があるが、とんでもない。それは大なる民主主義、大なる無抵抗主義である。
近藤:無抵抗主義ってのは気にいりましたね。
植芝:ですから私は平和主義の人と交わりたいという考えを持っています。今一番おくれておるのは宗教家です。
近藤:気に入ったことを、ちょいちょいおっしゃる。(笑声)
植芝:あんながん迷なアホウどもに、何ができるかというんです。
近藤:できるのは金もうけ。
植芝:わしは神サソを信心するのが非常に好きで、合掌してお辞儀をすると、実にいい気持です。ありがとうございますという感謝ですね。朝起ぎると手をたたくんですが、お父さんはずいぶん古いと子供が笑うんですけれど、わしは一番新しい、モダンじゃ、なぜかというと、わしは宇宙を自分の腹中に蔵しておる。神代の昔から今日も未来も腹中に蔵しているからだというんです。健康な者に神が宿るんですよ。健康な者には偉大なる力が与えられるんです。太陽をながめてごらんなさい、まばゆいでしよう。私は少しもまばゆくないから、心ゆくまで太陽が拝める。
近藤:目が悪いんじゃないんですか。(笑声)
植芝:仲よしになっておる。太陽がそばに来ているんです。お星さんがーつ落ちても自分の身に影響するんです。共に暮しているんです。
近藤:とてもかなわんという感じですな。少し昔話を伺いましょう。武勇伝を話して下さい。
“悲憤の涙”で力がわく
植芝:そんな話は忘れてしまった……。若い時分、自分の健康を世界人類のために使おう、ご奉公をしようと思ったんです。その当時、世の中をながめると、頭ばかり賢うて体の弱い者ばかりなんです。わしは皆さんのためにこの体を使っていただこうとして、例えば宗教家のところに行くと、みんなのゾウリをそろえたりするのが役目です。ハンテンを着て腹掛けをして…。
近藤:下足番ですね。
植芝:下足番とか野菜作りをして、人に使われておる。一灯園みたいな形ですが、一灯園は便所の形からいくんですが、わしは自分の使命があるので、そればかりはしておられんから…それで下座の行が多いのです。下座の行をしておると、不思議に体が丈夫になるんです。あるときに大本教の出口王仁三郎のところへ行った。そうするとね、こんな太いシイの木を移植するというので、多勢の信者が、こんな棒を入れて、引っぱっているんだが、ビクとも動かないんです。わしはそれを見て、急に動かして見ようと思ったんです。
その瞬間に、全身が湯に入ったように真っ赤になってぬくもって来て、ハラハラと涙が出て来た。こう(慷)慨悲憤の涙が出てきた。なぜこの世界は伸よくいかんのか、日本だけでもすべてが仲よくいきたいという、こう慨悲憤の涙が出で来た。そうすると、今まで何十人の人で動かないのが、わしが一人でやると、すうっと動いてしまったんです。こう慨悲憤の涙で力がついたんです。出口王仁三郎先生が、植芝は神がかりじゃなといったんです。
近藤:神がかりは出口王仁三郎の方でしよう。(笑声)
植芝:それで力蔵という名前をとったんです。三百貫くらいの石橋をひとりでころがすんですよ。
近藤:そのころは、大本教の信者におなりになったんですね。いまは?
植芝:今は向こうで認めてないでしょうね。
近藤:大本教を信ずる気になったのは、どういうことから?
植芝:父の病気を治して頂いたんです。
近藤:治りましたか。
植芝:亡くなったんです。亡くなったというととは治ったことでしょう。生きているから病気というんでしよう。(笑声)
近藤:非常に神秘的ないい方をなさるので、よく考えないと、どうも...。(笑声)
植芝:今は平信者の伸間に入れておいてくれるんですよ。大本教というのは大なる民主主義ですね。出口王仁三郎先生ぐらい偉い人は知らんね。あの方は大な勺民主主義者です。共産覚と間違えられたことがいくらもあります。大した人物ですよ。あの方に教えられたのは言霊学慷です。これは習ったんじゃないんですよ。そばにおって、自然に覚えてしもうたんです。そのころ大幹部の二人のエリ首をひっつかんで夜の十二時ごろ、家までぶら下げて行ったことがあります。
そういうムチャをせんでくれというんですが、君らの意見はくだらないというわけで、ひっつかんでさげて行ったんです。わしは何回も試合をやったけれども、一回も負けていないんです。シナイをかついで回ったこともあるんですが...。
自己の剣に勝つのが合気
近藤:お相撲さんのだれかも、あなたに負けたことがあるんでしよう。
植芝:天龍さんと大ノ里です。大ノ里がここにくらいついて来たのを、ひょいとつかまえて投げたんです。天龍さんのときは、橋本彪之助という方がおりまして、この方は気の毒にソ連で亡くなりましたが、との方が夫龍さんに、一つやってごらんなさいといわれたんですが、天龍さんは笑っているんですよ。
六尺何寸かで三十何貫でしよう、こっちはこんなに小さいし、相撲にならないんですね。まアためしにやってごらんなさいというわけで、わしがちょっと手を握って、しっかり押しなさい、よろしゆうございますかというと、一生懸命に押すのを、えらい力がないですな、といいながら、ばっとやったらそのままひっくり返っちゃった。わしは座ったままでいいんですよ。
日本の平和武道ですべて和合ですから、落ち着いているから力があるんです。気負ってやると自分で負けるんです。すなわち合気とは正しいものに打ち勝つという意味です。自己の剣に自分が打ち勝つのです。勝速みというんですが、日月、地球よりもなお速い。なぜかというと宇宙は自分であるから、宇宙に速いも遅いもない。これ以上のものはないんです。
近藤:天龍さんも宇宙にはかなわない。戦争中はどうしていらっしゃいました。
植芝:戦争中はわし一人でしょう。それで陸、海軍の各学校を担当しておったんですが、自家用車が三台あったんです。ちっとも電車やなんかに乗ったことがない、というのは乗らせないんです。その時分は旅行すると白切符です。今の族行は苦痛ですよ、赤ですから…。
近藤:軍人に合気道の精神がわかりましたか。
植芝:わからない。どんなものでも戦闘をもって基準とするが、わしのは身をもって基準とする、合気をもって基準とする。
近藤:そういっても軍人は、アイプイとはいわないんですね。(笑声)
植乏 アイヤ、アイヤですょ。(笑声)
植芝盛平氏の略歴
明治十四年和歌山県に軍る。十七歳の才き上京、商家に奉公中に超倒妬柔術や新舞流、八電垣流などの剣術矛学ぶ。
同四三年に北海鶏に漕り、大東流柔術の武襲惣趣に柔術を学ぶ。
大正八年これを基鶴にして大東流合気術を超す。
戦前ぱ購海車で教えていたが、戦後は道場を令息に誕り、茨城県岩間で土に親しんでいる。
道場は東京都新宿区若松町一〇二。