その華麗なる演武と後進を惹きつけてやまない人柄で、世界中に熱心な弟子とファンがいるChristian Tissier師範(クリスチャン・ティシエ)。舞台に華を添える千両役者の如き、この突出した合気道家は、いかにして育まれたのか。植芝吉祥丸道主、山口清吾師範らの薫陶を受けた日本修行時代から、フランス合気道界を代表する現在に至るまで、ティシエ師範が歩んだ「合気道ヒストリー」について、弟子であり合気道研究家のギヨーム・エラール師が直撃!
この記事は、「月刊秘伝」2021年10月号に掲載されました。
植芝盛平翁の最初の外国人内弟子であるフランス人のアンドレ・ノケが、日本や海外での合気道の普及に大きな役割を果たしたことは、以前に本誌(『秘伝』2020年3月号)で紹介した。私はノケ先生のグループで合気道を学び始めたとはいえ、彼はすでに高齢だったので、実際に私を日本に導いてくれたのは、同じくフランス人のクリスチャン・ティシェ先生であった。
ティシェ先生は、ノケ先生の一世代後に、すべてを捨てて合気会本部の師範たちに師事した。現在、ティシェ先生は合気会八段師範であり、世界で最も著名な合気道の普及者の一人であり、私や何千人もの合気道家の模範となっている。
本部道場での合気道修行
クリスチャン・ティシエは、1951年にパリで生まれた。柔道を学び、1962年に植芝盛平翁の内弟子であった中園睦郎先生のもとで合気道を始めた。非常に優秀な生徒であったティシエは、1968年に二段を取得。その翌年、合気会本部道場で合気道を上達させるために、6ケ月間日本に滞在することにした。
東京での生活は、当初は質素なものだったが、暁星学園と日仏学院でフランス語を教えることで、安定した収入とビザを手に入れた。また、当時、モデルとしての活動も行っていた。
暁星学園で教師をしていたティシエ師範(写真右端:1970年)。
日本社会との交流も滞在の日的としていたので、上智大学に入学して日本語を学んだ。
「パリと比べると、当時の東京は大きな田舎の村のようでした。小さな通り、高い建物がない……、そんな静かな生活と稽古とのリズムが気に入りましたし、日本人とのつながりは得やすかったです」(ティシエ師範)
ティシエは若くて自分に自信があったので、合気会本部道場で教えられていることの価値を認めるために心を開かなければならなかった。
「私は本部の合気道を理解していませんでしたし、好きではありませんでした。なぜなら、それは私がフランスで学んだものとは違っていたからです。自分の考えが問違っていると気づくのに時間がかかりました」
日本の合気道を理解するには半年以上かかることがわかってからは、ティシエは滞在を延長し、本部のすべての稽古に出席し、すべての先生の受けをとった。五月女貢、増田誠寿郎、遠藤征四郎、菅沼守人、安野正敏ど、多くの先生や当時の住込指導員たちと親交を深めていった。その後、宮本鶴蔵と柴田一郎が合気会に入ると、彼らは力強い稽古で知られるようになり、ティシエは彼らの強さに匹敵する数少ない西洋人の一人となった。
ティシエ師範と宮本鶴蔵師範は、道場の奥の右隅で稽古をしていたが、ここは現在でも激しい稽古を好む人たちに人気がある。
ティシエは本部道場の近くに住み、その活動の多くに参加した。増田誠寿郎先生から道場幹事に任命されたティシエは、外国人留学生の支援と指導を担当することになった。年に2回ほど留学生と道主との懇談会を開き、日比谷ホールでの全日本演武大会では、外国人演武の担当を任された。
日比谷公会堂での全日本合気道演武大会でフランス大使等が見守る中、演武を行うティシエ師範(「合気道新聞」1975年6月号)。
植芝吉祥丸と山口清吾からの薫陶
ティシエは、植芝吉祥丸二代道主、山口清吾先生と親交があり、稽古や演武会では受け役として活躍した。
「私は毎朝、道主の稽古に参加していましたが、道主は少しずつ私を受けとして扱うようになり、私の先生となりました。私は道主の息子である植芝守央と同い年だったので、よく一緒に稽古をしました」
ティシエ師範を指導する植芝吉祥丸道主。
ティシエはよく吉祥丸先生の話をするが、今日、世界中で合気道を楽しむことができるのは吉祥丸先生のおかげだということを、私に初めて気づかせてくれた人である。
「私の合気道の一番の思い出は、一番悪い思い出でもあります。吉祥丸先生は重病で寝たきりでしたが、七段を個人的に与えるために私を家に招待してくれましたn私と私の息子は、彼と彼の息子である植芝守央とともに1時間過ごしました。吉祥丸先生からいただいた美しい思い出ですが、もう二度と彼に会えないと思うと、とても悲しいです」
ティシエは道主から強固な基本と技術的な正確さを学んだ。山口先生からは、自由な発想と豪快さを学んだという。二人との関係は技術的範時を超えていると、彼は考えている。
「山口先生は私にとって父親のような存在でした。よく彼の家に連れて行ってくれては、私の面倒を見てくれました」
ティシエは山口先生の側に連れ添っていたが、自分の合気道は先生のそれとは似たものではないとみなしている。
「山口先生は、自分の真似をされることを嫌っていました。もし私が彼のクローンになっていたら、おそらく彼は不幸になっていたでしょう」
山口清吾師(中央)に見守られながら植芝守央現道主(右から2人目)と練習するティシエ師範。
ティシエ自身も弟子が自分の真似をするのを好まない。私も長年、ティシエの技術を模倣しようとしてきたが、ティシエに褒められたのは、彼の真似ではなく、自分の体に合ったやり方をするようになってからであった。
「技の外側の形は、それぞれの人の体や性格に合わせなければなりませんが、基本的な原理は決して変えてはいけません」
ティシエは他にも多くの格闘技を日本で練習した。目白ジムでキックボクシングを習い、パンチやキックの仕組みやタイミングを理解することができたという。また、至誠館で稲葉稔先生から剣術を学び、彼の合気道に鋭く切り裂くような動きを身につけていった。
「私が最も興味を持っているのは、自分とは異なるコード(基準)を持つ人たちと一緒に稽古をして、それを成功させることです。だから、初心者、背の高い人、大きい人、空手家、柔道家など、知らない人たちと一緒に練習したいと思うのです」
目白ジムで島三雄、藤原敏男とティシエ師範(1970年)。
フランスへの帰国
ティシエが四段に昇格すると、山口清吾先生は、本部で学んだことを教えるために帰国するようにと言った。1976年7月にパリに戻ったティシエは、「Le Cercle Christian Tissier」という自分のスクールを立ち上げ、ヨーロッパで最も有名な武術学校の」つとなった。
弟子たちを前に座るティシエ師範、パリの”Le Cercle Tissier ”にて。
1983年、ティシエは「Fédération Française d'Aïkido, Aïkibudo et Affinitaires」(FFAAA)を設立した。FFAAAは、公益財団法人合気会から正式に認定され、国際合気道連盟(IAF)のフランス代表となっている。FFAAAは、IAFのフランス代表であり、現在では26000人以上の稽古生を擁するフランス最大の合気道団体である。
ティシエはすぐにフランス国外でのセミナーに招かれ、今では世界中に熱心な弟子たちがいる。しかし、他の先生方と違って、彼は国際的な組織を作ることを望んでいない。
「私は合気会の弟子であり、合気会の合気道を教えているだけです」
ティシエは、弟子の一人一人と個人的な関係を築くことを好む。私とティシエの関係が始まったのは、アイルランドの大学で初めてティシエを講師として招いた時であった。私たちは小さな組織で、招聴予算も限られていたが、ティシエは自ら旅の手配をして、私たちの学校の発展のために来てくれたのだ。
2007年、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンで教えるティシエ師範(受け:エラール・ギヨーム)。
「私は大先生のように振る舞うことはありませんし、人に奉仕を求めたり、バッグを持ってもらったりすることもありません。自分にできることがあればやってみるし、見返りも求めません」
ティシエは本部との関係を大切にし、毎年、日本に戻って来ている。また、多くの弟子たちに本部での修行を勧めている。彼は私に、日本や本部道場での振る舞い方について多くの有益なアドバイスをくれたが、私は今でもそれに従っている。
「今日では、ヨーロッパでも日本と同じように能力を発揮していますが、教え方は全く違いますので、お互いに学び続けるためにも、つながりを保つことが大切です」
ティシエは、日本で合気道のセミナーを行った最初の外国人の一人である。特に、パリで数年間一緒に学んだ岡本洋子師範が主催したセミナーでは、ティシェが講師を務めました。ティシエはまた、IAFの大会で教えた最初の外国人でもある。
2015年に合気道京都が主催した国際講習会の際、京都武徳殿で指導するティシエ師範(受け:エラール・ギヨーム)。
合気道の教育者、普及者として
私の世代では、クリスチャン・ティシエが頻繁に出演しているテレビ番組を見て合気道を知ったという人がほとんどである。また、彼は多くの技術書やDVDを刊行している。ティシエは、合気道を「武術を基礎とした教育システム」と定義している。
「合気道の目的のひとつは、恐怖心を取り除くことです。合気道のクラスでは、排除、拒否、非コミュニケーションの状況を取り除く必要があります。誰よりも強くなりたいと思っても意味がありません」
クリスチャン・ティシエ師範の合気道関連書籍の一部。
ティシエは植芝守央三代道主からIAFのシニア・カウンシル(評議会)のメンバーに任命され、大会やコンバットゲーム、最近では韓国で開催されたワールド・マーシャルアーツ・マスターシップなどの活動を定期的にサポートしている。私も韓国でIAFチームの一員として参加したが、演武の前にものすごく緊張したのを覚えている。カメラのせいではなく、準備を手伝ってくれたティシエの期待を裏切りたくなかったからである。
2019年に韓国で開催された「Chungju World Martial Arts Masterships」で指導するティシエ師範(受け:ギヨーム・エラール)。
2012年7月、クリスチャン・ティシエは、日本とヨーロッパの友好促進に多大な貢献をしたことが認められ、在フランス日本国大使の小松一郎閣下より「外務大臣表彰」を受賞した。
2014年、日本の安倍晋三首相がフランスを訪問した際にも、主賓として招待された。
安倍晋三首相のエリゼ宮での夕食会(2014年) 。左から右へ。安倍晋三氏、、フランソワ・オランド氏、安倍昭恵氏、ティシエ師範。
2016年1月9日、クリスチャン・ティシエは、合気会鏡開きの際、植芝守央道主より、宮本鶴蔵師範、木村二郎師範と同時に、八段を授与された。式典の後、八段となった感想を聞いてみると、彼はこう言った。
「自分の師匠と同じ段位なので、道主への謙虚さと感謝の気持ちで受け止めています。しかし私の心の中には、本部に来たばかりの頃の子供のような気持ちが残っています。合気道が大好きな子供のままなのです」
鏡開き式で植芝守央道主から八段の証書を受け取るティシエ師範(2016年)。
後日、ティシエと師範の意味について話し合ったことがある。彼はこう言った。
「師範とは、単に指導者の先輩であるだけでなく、技術的な面だけでなく、人間的にも模範となるべきものです」
私は合気道を始めたときからティシェ先生をお手本としてきたが、もしティシェ先生の指導を受けていなかったら、私の人生は大きく変わっていたであろう。世界中の多くの合気道家が、クリスチャン・ティシエ先生の寛大さから恩恵を受けられることを願っている。
文◎エラール・ギヨーム
フランス出身、科学者(分子生物学の博士号)および教育者であり、日本の永住者。東京の合気会本部道場で稽古を行い、合気道道主植芝守央から六段、大東流合気柔術四国本部から五段と教師の免状を授与される。フルコンタクト空手も練習している。自身の「横浜合気道場」で合気道を教えており、定期的にヨーロッパを訪れ、合気道や大東流のセミナー、武道の歴史についての講義を行っている。